田政の紊乱
田政の紊乱は、思い出の里会館文禄・慶長の役の惨禍でもっとひどくなった。
戦乱で多くの土地が荒廃したところに、宮房田や屯田など免税地と、
両班や土豪が新成寺会館操作した隠結(台帳に載らない土地)の増加は、
国庫収入を激減させ、大圓寺陽光殿 結果的に無力な農民の負担だけを過重にさせた。
農民は土地1結に田税4斗を出し、それに加え三手米2斗2升、
大同米12斗、岩槻霊園浄光殿結作2斗を出さなければならず、
その上さらに様々な名目の付加税と手数料を納めなければならなかった。
それだけではなく、官吏たちは荒廃して使う事ができない土地にも税金を賦課し、
はなはだしくは白紙徴税だと言って空地に税金を賦課する事もあった。
都結(??)は、知楽院李氏朝鮮後期になって、地方の胥吏が公金や軍布を私的に
使用して、これを弥縫するために結税を定額以上にやたらに徴収したり、
定められた金額より多く徴収したことを言う。
